一般社団法人スポーツマネジメント通訳協会の倫理規定等

目次

  • はじめに
  • 序文
  • 倫理規定
  • スポーツ通訳者の存在意義とその位置づけ
  • スポーツ通訳への示唆

はじめに

一般社団法人スポーツマネジメント通訳協会(以下、当協会)は、スポーツ通訳の認知拡大、スポーツ通訳者の地位向上、及び、検定・資格試験実施によるスポーツ通訳者の輩出・育成・就業支援を主な活動目的として、2023年4月に創立された。

創立にあたり、組織名称に「マネジメント」という文言を入れることにはこだわった。スポーツ通訳者は言語を訳すだけに留まらず、担当する選手の契約締結の場に立ち会うこともあれば、その御家族・関係者と公私を共にする時間も長く、「マネジメント力」を問われるシーンは多い。且つ機密情報を取り扱える立場でもあるため、選手のマネジメントは当然のこと、自分自身をコントロールしてマネジメントしてく「セルフマネジメント力」も求められる。AIによる通訳が確立されつつある昨今ではあるものの、スポーツ通訳の領域には、人間にしか果たせない役割が多く存在する。

そのような中で、日本人野球選手がメジャーリーグベースボール(MLB)で活躍するシーンも増え、ようやくスポーツ通訳という存在が認知され始めたものの、2023年当時、スポーツ通訳者にフォーカスして通訳者を支援・育成する団体等は日本国内には存在せず、当協会は日本で初めて設立されたスポーツ通訳者のための団体である。

当協会は、スポーツ通訳者とそのユーザーがスポーツ通訳の目的(スコポス)に対する共通理解を持ち、スポーツ通訳が一定の基準の下で適切且つ効果的に行われることを目的に、当協会としての倫理規定を策定した。そのことで、統一性に欠け雑然としたスポーツ通訳の領域を一貫性のある文化として育て、その存在意義と重要性を明確化していくものとする。

本倫理規定策定の際には、豪州で政府関連機関をはじめとする多くの通訳関連組織が依拠している、豪州通訳翻訳者協会(AUSIT)の倫理規定及び行動規範を参考にさせていただいた。また公表されている関連学術論文も参考とさせていただいた。

なお、本倫理規定は固定した完成形ではなく、誕生したばかりのスポーツ通訳文化の成長・発展とともに進化していくものである。

一般社団法人スポーツマネジメント通訳協会
代表理事 生駒富男
会長 小林至

序文

当協会の倫理規定は、当協会にて実施するスポーツバイリンガル検定・スポーツマネジメント通訳資格のライセンスを取得したプロの通訳者(以下、スポーツ通訳者)が、現場で判断を下す際の指針となる価値観、行動規範、原則を定めている。本倫理規定は、スポーツ通訳者が自らの行動を判断する際の枠組みを提供しており、すべての状況における行動規範を網羅するものではない。従って、倫理的な通訳を行うためには、状況判断と公正な意思決定を臨機応変に行うことが求められる。

スポーツ通訳者と業務の依頼主もしくは関係者は、当協会の規範に対する違反を認めた場合、全て当協会に報告する義務がある。当協会はそのような報告の内容を調査し、スポーツ通訳者に当協会の規範を遵守するよう求めるものとする。

以下に示す価値観や原則は、スポーツ通訳者に行動指針を与えるものとなる。

スポーツマネジメント通訳倫理規定

1. プロとしての行動

スポーツ通訳者は、当協会の理念に沿った行動基準や礼節を常に守りながら行動しなければならない。

解説:スポーツ通訳者は、自身の業務や行動に責任を負う。よって、礼儀をわきまえて、文化に配慮しながら良質のサービスを提供するよう励む。また関係者や同業者には公正かつ誠実に接し、業務には常に真摯な態度で臨む。もし利害の衝突や、中立性を損なう恐れのある問題があれば、全て本協会に開示する。また業務における関係者からの要求に対しては、迅速かつ入念に対応するというプロとしての共通倫理を遵守する。

2. 守秘義務

スポーツ通訳者は、守秘義務を守り、業務を通じて得た情報を口外してはならない。

解説:スポーツ通訳者は、担当選手と長い時間をともに過ごし、選手の公私にわたるサポートを行うため、資産状況や交友関係を含めた機密情報にアクセスできる場合もある。スポーツ通訳者は、それらの情報をいかなる理由があろうとも悪用または口外してはならない。プロフェッショナリズムに徹し、守秘義務を遵守する。

3. 能力

スポーツ通訳者は、当協会にプロとしての能力を認定された言語でのみ業務を請け負う。

解説:スポーツ通訳者は、業務を遂行するために、一定水準の専門知識を有していなければならない。現場の関係者は、スポーツ通訳者を適切な資格を有するプロとみなしている。そのため、自身の経歴を詐称してはならない。

4. 中立性

スポーツ通訳者は、全ての関係者との間で中立性を保つ。 スポーツ通訳者は、当事者たちとのやり取りにおいて、どのような場面でも偏見を持たない。

解説:スポーツ通訳者は、共通の言語を持たない当事者間のコミュニケーションを効率的に促進するという重要な役割を担う。スポーツ通訳者の仕事は、話し手の意図を全て伝えることである。スポーツ通訳者は、内容を正確にかつ忠実に伝えることに責任を持ち、当事者たちの発言自体には責任を負わない。 個人の偏見が、業務に影響を与えてはならない。伝達する内容を和らげたり、強めたり、変更したりしてはならない。ただし、スポーツ通訳の目的(スコポス)は勝負に勝つことである。その目的を果たすために、中立性を保ちかつ偏見を持たずに、最適の訳し方を模索することが、スポーツ通訳者には求められる。

5.正確性

スポーツ通訳者は、原文やメッセージの意味に常に忠実であるために、最善の専門的判断を下す。一方、スポーツ通訳の目的(スポコス)は、選手の能力を最大限に引き出し試合に勝つことであるため、訳出には即時性や創造性など、プロスポーツ通訳者としての現場での判断も求められる。

解説:本規定における正確性とは、原文のメッセージ内容や意図を省略または歪曲せず、目標言語へ最適かつ完全に伝達することである。一方で、スポーツ通訳では勝負及びエンターテイメントという二つの条件を満たすために、訳出には即時性と創造性が要求されることがある。即時性とは、最小限の時間で起点言語のエッセンスを訳出することである。スポーツには時間制限のある場面もあれば、テンポやタイミングがパフォーマンスに影響を与えることもある。また通訳ユーザーとしてのスポーツ選手は簡潔な訳を好む傾向があるという研究結果もある。そのため正確性という原則を遵守しながらも、スポーツ通訳の目的(スコポス)を優先して創造性を発揮し、勝利につながる訳出方法を選択する能力が求められる。

6.役割範囲の明確性

スポーツ通訳者は、コミュニケーションを促進するという自らの任務と、業務に携わる他の当事者の業務との境界を守る。

解説:スポーツ通訳者の業務はメッセージの伝達である。通訳業務中に擁護、誘導、助言など、通訳以外の業務を行ってはならない。ただし特別な雇用契約により、そのような業務を求められる場合には、雇用主と共に通訳業務とその他の業務の明確な区分や範囲を定め、共通理解を得た上で業務にあたる。

7.プロフェッショナルな関係の維持

スポーツ通訳者は、従業員、フリーランサー、通訳会社の契約者などの雇用形態にかかわらず、サービスの質に責任を有する。物理的な設備、適切なブリーフィング、仕事内容の明確な理解、特定の状況下での明確な行動規定などといった、業務のパフォーマンスを向上させる労働環境の確保に常に努める。また、スポーツ通訳者は、受け持った仕事を完了するために十分な時間を確保する。業務上の関係者と相互に尊重しあうビジネス関係を構築し、スポーツ通訳者の役割を十分理解してもらえるよう働きかける。

解説:スポーツ通訳者は、特定の組織からの要望に応えながら業務を遂行することもあれば、広範囲な専門性の高い領域やビジネスの状況下で業務を遂行することもある。スポーツ通訳者は、完全に独立した当事者として厳格な規約が定められる場合もあれば、関係者との協力や責任の共有が明示されている状況もある。 スポーツ通訳者はこれらの背景を熟知している必要があり、業務上の関係者にスポーツ通訳者の役割を十分理解してもらえるよう尽力する。

8. 専門性の向上

スポーツ通訳者は、常に専門的な知識と技術の向上に努める。

解説:スポーツ通訳者は、人、サービス、及び業務が時間と共に進化することを認識し、生涯にわたり学習を継続する。絶えず、言語能力と伝達能力、文脈理解と異文化理解を向上させる。また、質の高いサービスを提供し続けるために、業務に関連する技術的な進歩に常に対応する。資格や訓練がまだ確立されていない言語のスポーツ通訳者は、個人で基準を評価し、維持し、更新する場合がある。

9.プロ同士の連帯

スポーツ通訳者は、相互に同業者を尊重し、助け合い、通訳という職業における信用と信頼性を守る。

解説:スポーツ通訳者は、個人の関心を超えて業務に忠実である。スポーツ通訳者は、選手の活躍、スポーツ文化の振興、スポーツ通訳界の発展のために、互いを支え合う。円滑な業務遂行や通訳スキル向上につながる有益な情報を交換し合い、同業者の利益を支援・促進し、スポーツ及び通訳業界に貢献することを目指す。

10.社会的役割の自覚と対人感受性

スポーツ通訳者の役割は、主役である選手にベストの環境を整える黒子であることを自覚して、業務にあたることである。また、選手にストレスを与えないために、空気を読み、立ち位置を見極め、選手と適切な距離感を保つことのできる対人感受性を備えていなければならない。さらには、家族の世話、広報、仲裁など、言葉を訳すこと以外の役割を依頼主から求められる場合があることを、認識していなければならない。

解説:プロスポーツはスポーツエンターテイメントであり、選手たちの中には有名人も多い。しかしスポーツ通訳者は、自らの黒子としての役割を忘れてはならない。「目立たない」「でしゃばらない」「選手の邪魔にならない」「マスコミのカメラに写り込まない」「気配を消す」「(感情を)顔に出さない」など、黒子としての社会的役割を自覚して業務にあたることが求められる。他にも次のような役割を期待されることがある。

家族の世話:家族の幸せが選手の安心と活躍に不可欠であるため、最も重要な役割は家族の世話だと即答する通訳者の事例が多く報告されている。

対立の仲裁:スポーツにおいて、コーチと選手の意見が食い違う等の状況は、日常的に起こる。仲裁をする際には通訳者の自主的判断で表現を和らげるなどの創造的訳出を行う事例が報告されている一方、過激な表現もそのまま訳した方が最終的には良い結果になったという報告もあり、訳出方略に唯一無二の正解はない。どの訳出方略を採用するのかは、スポーツ通訳者のマネジメント能力が試される場面である。

リスナー:外国人選手はスポーツ通訳者をはじめとするごく一部の人たちとしか深い会話ができない。選手の聞き役になることは、スポーツ通訳者の重要な役割の一つである。通訳者に愚痴を聞いてもらうことで、気持ちが落ち着いたという選手の報告が研究調査で確認されている。

広報:インタビューやマスコミ対応では、スポーツ通訳者の訳語一つで選手のイメージが決まることがあるため、賢明な対応が必要である。スポーツ通訳者には選手の思いを豊かに伝える表現力が求められる他、不適切な質問や取材に対しては、その質問を遮る、あるいは選手に対応の仕方をアドバイスする等のマネジメント力が求められる。

透明な存在:通訳を介さず直接会話をするのが理想のコミュニケーションである。スポーツ通訳者はそのような状況に近づけるべく、自らがすべての選手や関係者と友好な関係を保ち、架け橋をなることが求められる。状況によっては、あえて通訳をせず様子を見守るなどのマネジメント力が求められる。例えるならば、スポーツ通訳者は「黒子」から「透明な存在」になり、最後には「いなくなる」ことが究極の理想となる。

スポーツマネジメント通訳協会のスポーツ通訳に対する思い

当協会の目指すところは、優れたスポーツ通訳者を輩出することである。スポーツ通訳においては、その目的(スコポス)が言語メッセージの正確な伝達を超えて「勝負に勝つ」ことであるため、マネジメント力が肝となる。通訳におけるマネジメントの要素は、AI通訳には担えない人間の能力が存分に発揮される分野である。その一方で、マネジメント力は、一言で表すことのできないグレーな領域とも言える。そのため、当協会では、依頼主、選手、マスコミ、スポーツファンをはじめとする通訳ユーザーが望むスポーツ通訳者像を調査研究するとともに現場での声を聞きながら、スポーツ通訳に求められる要素を明らかにし、それを通訳者養成に活かし、ユーザーが求めるスポーツ通訳者を輩出していくことを目指す。

日本のプロスポーツというフィールドでスポーツ通訳者は「小間使い」「使い走り」と見なされてきた歴史があり、未だに同様の考えが現場に残っている可能性は否定できない。通訳者が個人としてプロスポーツチームに雇用される場合に、通訳者は待遇、契約内容、業務範囲などについて、自分で確認を求めることになり、チーム内に中立の相談窓口などはないため、様々な疑問を持ちながら仕事をせざるを得ない状況も報告されている。本協会は、クライアントと通訳者双方のニーズを確認しながら、両者を含むすべてのユーザーにとって最適の通訳環境を整えていくことを目指す。

以下は、倫理規定には盛り込まなかったものの、当協会が重要だと思う具体的事例等を簡潔にまとめたものであり、今後もアップデートしていく予定である。

  • スポーツ通訳者は、言葉を訳す以外の役割がその業務の中心にある場合もある。特にNPBの球団通訳者の場合には、訳す以外の業務の必要性を球団から説明され、それを理解した上で入団することが想定される。
  • スポーツ通訳者の訳語は音声または活字として、テレビ、インターネット、新聞等を通じて世界中に配信されることがあるため、訳語に関しては、視聴者・読者及び球団関係者から意見が寄せられる。スポーツ通訳者にはそれらユーザーの声に耳を傾けながら、自己研鑽していくことが求められる。
  • スポーツ選手の中には、外国語を話せる場合でも、あえて通訳を介する例が多く見られる。その意図は、メディアやファンに向けて、自分の意図を間違いなく伝えることにある。このような場合には、細かいニュアンスまでも正確に訳出するスキルが求められ、ここにスポーツ通訳者の「プロの通訳者」としての存在意義がある。スポーツ通訳者の発した言葉や立ち居振る舞いがそのまま選手のイメージになり得ることを忘れてはならない。
  • 選手の意図を正確に伝えるスキルのない通訳者は、契約更新がないまたは即時解雇される場合がある。一つの訳語が不適切だったがために、担当選手のイメージを損ない、シーズン途中で解雇された MLB 通訳者の例も報告されている。
  • スポーツ通訳者は選手の契約・移籍交渉というミスが許されない場面での通訳も担当するため、正確な通訳を行うためのスキルアップも常に求められる。
  • プロスポーツのスコポス(目的)は勝利である。そのため担当選手がいる場合には、その選手の物理的・精神的サポートを求められる可能性がある。その一例として、NPB球団通訳者の場合には、選手をマスコミから守る盾の役割も確認されている。

【参考文献】

『AUSITの倫理規定及び行動規範』AUSIT(豪州通訳翻訳者協会)
https://ausit.org/wp-content/uploads/2023/06/AUSIT-COE_Japanese_Monash-students.pdf

MIZUNO Makiko, “Contents and Philosophy of Codes of Ethics in Conference, Community, Legal and Health Care Interpreting.” Interpretation Studies, No. 5, December 2005, Pages 157-172 (c) 2005 by the Japan Association for Interpretation Studies  https://jaits.jpn.org/home/kaishi2005/pdf/07_mizunomakiko_final_.pdf

ITAYA Hatsuko, “The Roles Expected of Sports Interpreters: From a Study Employing M-GTA on Professional Baseball Interpreters,” Interpreting and Translation Studies, No.17, 2017. Pages 23-43. © by the Japan Association for Interpreting and Translation Studies
https://jaits.jpn.org/home/kaishi2017/17_02_itaya.pdf

2024年7月22日作成