コラム

COLUMN

前田悠也

第25回:オーストラリア滞在記(後編)

南オーストラリア州の州都、アデレードに滞在していた私たちですが、遠征で別の都市を訪れる機会が2回ありました。今シーズンの開幕戦はシドニーで行われたため、本拠地で1週間練習をしたあと、チームと共に飛行機で移動しました。日本の球団と違ってスタッフの数は多くないため、ゼネラルマネージャー(GM)や監督が率先してチームの荷物を運び、また遠征先ではコーチ陣やベテラン選手がレンタカーの運転手を務めてチームの移動を手伝っていたのはとても印象に残りました。また、私たちが所属していたチームの主将は、オーストラリア代表としてWBCに出場した経験を持ち、球団の本塁打記録を持つ有名選手ですが、キャプテンシーに富み、誰とも分け隔てなく接することから、日本人選手を含めて多くのチームメート、スタッフから慕われていました。

遠征先のホテルでは部屋の数が限られているため、日本人選手、スタッフを含む全ての遠征参加者には二人部屋が与えられました。部屋の振り分けにあたっては、同じ国の出身者が同部屋となるなど配慮され、私は日本人選手の一人と同じ部屋で寝泊まりすることになりました。日本で遠征に参加する際は通訳などのスタッフにも一人部屋が与えられるため、選手と同じ空間で寝食を共にする経験はとても新鮮に感じたと同時に、寮生活を送っていた高校時代を思い出して、少し懐かしい気持ちにもなりました。

私たちが所属したチームの監督は、普段はMLB下部組織のベンチコーチを務める人物で、現役時代は捕手として活躍していました。引退後は指導者として引き続きチームに携わる傍ら、「人間をもっと理解したい」、「世代の違いを乗り越えて円滑なコミュニケーションを図りたい」という理由で心理学を学び、地元の大学で社会人を対象とした生涯学習の授業で6年間にわたり教鞭をとっていたそうです。彼のモットーは“Dominate the Controllable”で、これは、「野球のようなスポーツでは結果や審判員の判定など、自分たちではどうにもできない部分が多く存在するが、準備、態度、努力など、自分たちがコントロールできることは徹底してコントロールしよう」という意味が込められていて、毎日送られてくるチームのスケジュール表の最下部にも、この言葉が記されていました。監督に就任した当初は、戦力にも恵まれず、自分の指示通りに動かない選手たちにいらだち、感情的になることも多かったそうですが、それを改め、上記の心構えの徹底を選手に根気強く求めたところ、チームは徐々にまとまりを見せはじめ、やがてABLで2連覇を達成する強豪に生まれ変わりました。この手腕が高く評価され、現在はABL監督のほかに、米国で某3Aチームのベンチコーチ、さらには野球豪州代表のコーチも務めています。彼は日本人選手にも積極的に声をかけ、「まずは自分の長所を理解しよう。そしてその長所をひたすら伸ばそう」と、若い選手たちの背中を押してくれました。

前田悠也

前田悠也

東京都出身。中学から米国に留学。現在、巨人軍英語通訳

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